回想録

思い出たち

スノードーム

(2016/07/06)

 

 

 

"アバズレさん"

僕が3月から5月まで付き合っていた彼女をそう名付けた。

当時読んでいた小説に出てくる人物からとったのだけど、なかなかしっくり来るあだ名だと思う。
 
アバズレさんとはネトゲで知り合って、顔写真送りあって、好きだって言い合って、付き合った。
付き合った2日後に名古屋で会った。付き合う前から名古屋で会うことはきまってた。
会って、自然に手を繋いできてくれた。すごくドキドキした。初めてだった。そんな簡単に手繋ぐものなんだ。あ。付き合ってるんだもんな。そんなことを思いながら水族館へ向かっていた。
 
水族館でハグをした。誰もいない暗い部屋で。5秒間くらい。初めてだった。カメラがより進化して二次元の画像だけでなくあの部屋の空間をスノウドームみたいに完全に保存、記録できるなら間違いなく僕はそうした。二人だけの世界だった。アバズレさんとの思い出の中でその瞬間が一番ロマンチックだった。
 
あとは科学館に行ってプラネタリウムを見たり、ホテルでお酒を飲んだりキスをしたりして過ごした。初めてだった。口移しされたときはビックリした。ほろよいホワイトサワー。ドキドキした。
 
翌日動物園に行った。そのあと居酒屋でお酒を飲んだ。口移しをした。男梅サワー。またドキドキした。
新幹線の改札の前までアバズレさんと一緒に行った。改札の前でキスをした。小さくなるアバズレさんを見送った。彼女は振り向かなかった。
 
 
一か月後も交際は続いていて、今度は大阪で会うことになった。
名古屋では歩き回って疲れたので今度は部屋でゆっくりしようと思ったので宿を探しまくって安くていいところを見つけて泊まった。
一日目のことを思い出そうとしたけれど駄目だった。思い出せない。
二日目は夕方道頓堀へ行った。たこ焼き屋を2軒回って食べた。一軒目は普通のソースとマヨネーズがかかったたこ焼き。二軒目はネギポン酢のかかった変わったたこ焼き。アバズレさんは二軒目のほうが好きだと言った。僕もこっちのほうが好きだと嘘を吐いた。
 
夜に串カツ屋に行ったのだけれど混んでいて30分くらい並んで待つことになった。そのとき元カレの写真を見せられた。男の顔は気にならなかった。「めっちゃイケメンでしょ」そういう彼女の声が遠く聞こえた。隣に映っていた見慣れた笑顔のアバズレさんを見て、僕は少し泣いた。トイレに行くといって誤魔化した。最悪。そう思った。
 
大阪駅の"時の広場"でアバズレさんの新幹線が来るまで待つことにした。アバズレさんが隣に座っている。彼女は元カレの話をしている。復縁したがってることは馬鹿でもわかる。僕でもわかった。さっきのこともあったからだろう。感情が爆発した。僕はアバズレさんを抱きしめて泣いた。よく覚えてないけど僕と付き合ってるんだから他の男の人をそういう風に思うのはやめてほしいみたいなことを言ったと思う。アバズレさんは曖昧な返事をして笑った。「泣き止んで」何度もそう言った。
 
改札まで一緒に歩いた。改札の前でアバズレさんを抱きしめた。また小さくなるアバズレさんを見送った。アバズレさんは振り返らなかった。僕は泣きながらバス乗り場まで向かった。泣いてたのは多分別れを予感していたんだと思う。そのころには僕はだいぶアバズレさんのことを理解していた。彼女は一年前、大好きだった元カレと別れた。彼女は寂しがっていた。だからその後数人の男と付き合った。僕もその一人だった。
簡単に好きだって言ってきたのも手をつないできたのもハグをしてきたこともキスをしてきたことも全部そういうことだった。わかっていたけど信じたくなかった。だってやっとまともな人とまともな恋愛ができると思えたんだから。
理解していたのにあんなワガママを言った。だからきっともうアバズレさんとは会えない。会えないかもしれない。そんなことを感じて泣いていたんだと思う。
 
その後アバズレさんとは会うことも話すことも文を交わすこともなかった。すべての連絡先をブロックされていた。アバズレさんはこういう別れ方を何度もしていると本人から聞いたことがある。それを聞いた時の僕は自分は捨てられないと根拠なく信じていた。馬鹿が。
 
多分僕としたみたいなことを何人にもして、何人とも似たような別れ方をしたんだろう。こういう人のことをアバズレと呼ぶんだと僕は初めて知った。だからアバズレさん。
 
 
 
 
アバズレさんのことを今好きか嫌いかと聞かれても答えられない。居なくなった人をそういう風に考えることはできない。
また会いたいなんて気持ちもない。でも幸せだったあの時を何度も思い出す。
例えアバズレさんが何度も言った好きって言葉が嘘でもあの幸せだった時間は確かにあった。嘘じゃない。
 
アバズレさんとの思い出を回想するのは季節を思い出すのに似ている。
夏。本当にあの素晴らしい雪景色があったのか信じられないような今の気候。でも押入れには使わなくなったストーブがあって、コタツ布団があって、毛布がある。それらが本当だったんだよって教えてくれる。
アバズレさんも同じ。今でも消せないLINEのやりとりがあって、アバズレさんが好きだった曲がiPodにあって、渡せなかったプレゼントがある。
鮮明には思い出せないけれどアバズレさんを初めて抱きしめたあの場所、あの空気、あの感触が曖昧に、不完全に詰まったスノウドームが僕の頭の中に大事にしまってある。
今でも記憶の片隅から取り出しては眺め、まだ思い出してないことはないかなんて考える。
 
大学に入って初めての恋愛は、そんなどうしようもないものだった。

 

ベランダでタバコを吸えるほど暖かくなってきた。

花粉の薬なしだとやっぱ目かゆいな。

そういえば最近滅多に雪を見なくなったな。

こないだまでとは気温も景色も嘘みたいに違うな。

 

今日の朝は色んな変化をを感じながら新潟のランドマークを眺めていた。

 

 

 

 

 

布団に染み付いた女の匂いは一晩経てばほぼ消えていた。

彼女がずっと抱えていたペンギンのぬいぐるみは居場所をなくしたように床に転がっていた。

彼女が居たという証拠はかろうじてまだ部屋に残っている。

 

彼女とのLINEを遡る。データとして残っているのは2,3回の数文字のやりとりと2時間の通話履歴だけ。

なかった事にしたくて全部消そうと思ったけど少なすぎてそんな気にもならなかった。

 

 

 

深夜3時。とにかく最悪な夜だった。

彼女は僕を好きだとは言わなかった。

それが悔しくて何度も抱きしめた。キスもした。彼女は拒まなかった。

一回だけでも僕を好きだって言ってくれてたらこんな苦しむこともなかったのに。

 

「なんか冷めちゃった」

朝方彼女がそう言った瞬間。キスしたり好きだって言ったり抱きしめたり、そういった行為が氷のように固まって僕の胸に突き刺さった。

好かれようとしてる自分が酷く滑稽に見えた。

彼女の言葉通り、心臓が冷えていくのをはっきり感じた。

彼女への好意はそのまま全部後悔として残った。

 

 

 

もっと人の痛みがわかるやつだと思ってた。

彼女が僕に言ったことは全部中途半端だった。

別れ際、本当のことを言ってくれてたら、二度と会いたくないと拒絶してくれたら、嫌いだってはっきり言ってくれたら、期待なんてしなくて済むのに。

まだやり直せるなんて思いたくないんだ。

「友達としてなら」なんて嘘つくなよ。

 

 

彼女に思いつく悪口はそれぐらいだけどそれだけじゃ僕は彼女のことを嫌いになれなかった。

僕に呪いを残したまま彼女はとっくに明日にも明後日にも、そのずっと先に繋がる”今日”を始めてる。

好きだって気持ちも、やり直せるかもって期待も捨て去って僕も先に進むべきだ。

だからどうにかこの出来事を消化できるようなサイズまで小さくしなくちゃいけなかった。

 

もう悪い事に頼るしかない、そう思った。幸いにも今日はそれを許してくれる日であった。

 

 

 

 

 

「彼女のことなんて好きじゃなかった。気の迷いだった。ちょっとエロいことがしたいだけだった。」

そんな嘘を自分につく事にした。

 

 

あっちゃん

疲れていた。頭がパンクしそうだった。

その頃の僕は彼女を作ろうと躍起になっていた。

大人数で飲みに行って出会いを求めたり、気になった子とLINEで仲を深めたり、二人で遊びに行ったりしてた。失敗したこともあったのでそのことで悩んだり、バイトや勉強も大変だったのでとにかく考えることが多かった。

女の子と居ると自分が試されていると思ってしまう。どんな話をしてくれるんだろうか。どこに連れてってくれるんだろうか。会計は払ってくれるんだろうか。とかそんなところを注意深く見られている。

男として見られるということはそういうことなんだろうと考えていた。そして女の子と関わる上でそれは避けられないのだろうなとも思った。

 

しかしそんな日々を過ごす中で一人だけは違った。

その子とは飲み会で会って仲良くなってよく二人で遊ぶようになった。

一緒に遊んでいても気を使って話を振らなくてよかったし奢るとか奢らないとか考えなくてよかったしとにかく楽で、楽しかった。彼女との時間は恋人を作ろうなんてことが馬鹿馬鹿しく思えるくらいに心地よかった。

場所なんてどうでもよかったので遊ぶときはいつも彼女の家に行った。

 

その日も狭い学生用のアパートの一部屋で駄弁っていた。

テストで赤点をとってしまったこと。今日の学食がハズレだったこと。でも好きなバンドのチケットが当たったこと。そんなどうでもいい話をしては勝手に一人で笑っていた。

彼女のその仕草からはとにかく今を楽しむという意思が感じられた。

他の女の子のようにこの人と付き合えるかどうか、これから先のこと、即ち未来を考えている様子ではない。ただ、今、喋っているだけ。

相手を楽しませようという気づかいは不要で、僕も自然体で居れた。

やるべきことは放っておいて今は二人でいる時間だけを見よう。そう思えてなんだか安心したし、楽しかった。

 

だから僕は

「あっちゃんといるのが楽しい。」

と言った。

ただ思ったことを口にだした。返事は待っていなかった。でも。

「私もアオイくん面白くて楽しいよ。好き。」

彼女はそう答えた。

僕にとって最後の二文字は最悪だった。

曖昧な言葉で愛を表現したわけではなく本当にそのとき思ったことを言っただけなのに彼女はそれを告白と解釈して返事をした。付き合ってください。そう言いかえることも出来る二文字。

僕は彼女と付き合いたくなかった。未来のことなんて考えたくなかった。ただずっと馬鹿みたいに楽しいこの時間を続けたかった。

でも「もう少し友達でいる時間が欲しい」なんて言えるわけがない。そんな拘束力がその言葉にはあった。たった二文字の中に。

 

「うん。」

少しの沈黙の後、僕も付き合うことを了承した。

 

 

その瞬間から僕は”恋人”のことを考えなくてはならなくなった。

LINEはすぐ返さなきゃ。一ヶ月に2回は会わなきゃだからこの日は開けなきゃ。早起きしなきゃだけど夜は電話しなくちゃ。

 

そんなことが頭の中のTodoリストにどんどん追加されていく。

机の上に並んだ二本の缶チューハイをぼうっと眺めながら楽しかった時間が遠のいていくのを見つめていた。

 

隣の恋人は嬉しそうに”彼氏と行ってみたいと思っていた場所”を次々と言って並べる。

首を動かして相槌を打つ。

吸いかけのタバコに手を伸ばす。

ふと思った。

 

好きって言葉が嫌いだ。